
9月22日の「知恵泉」が山尾庸三(日本の工学の父)を採り上げていました。周防国二島村に農民として生まれ、勤勉さを買われて長州藩士の陪臣となり、江戸遊学中に桂小五郎(木戸孝允)の知己を得たようです。攘夷思想にも目覚め、桂の伝手で幕府のロシア領沿岸調査に同行(1861)し、亀田丸で間宮海峡を越えてニコライエフスクに上陸しました(※「C 22nd season」参照)。帰還後、攘夷には外国の知識や技術が必要だと見抜き、藩の上層部に訴えると、当時の藩政を動かしていた周布政之助が攘夷を志向しながら外国技術導入にも積極的だったため、山尾の訴えから留学計画を立ち上げました。
こうして長州ファイブ(伊藤博文・井上馨・井上勝・遠藤謹助・山尾)は英国へ向かいました(1863)。ロンドンで薩摩スチューデント(留学生:五代友厚・森有礼…※長州と薩摩は禁門の変から対立中)に出会うと山尾は留学の先輩として良く面倒を見、逆に山尾が造船技術を学ぶためにグラスゴーへ向かう時は借金に応じてくれました(薩長同盟の土壌は既に出来ていた?)。
帰国して新政府に招かれた山尾は工部省設立に奔走し、小栗忠順の造った横須賀製鉄所(→造船所:※「C 19th season」参照)は工部省が管理しましたが、勝海舟に騙されて海軍省の移管となりました。また山尾は工学系教育機関の設立を目指し、「お雇い外国人で十分」と反対されても「人材を育てれば、その者が工業を発展させる」と説得し、設立された工学寮(後の東大工学部)は辰野金吾(東京駅設計)・高峰譲吉(アドレナリン結晶化)・田邉朔郎(琵琶湖疎水・蹴上発電所・電気鉄道)らを輩出しました。さらに山尾は障害者教育の学校設立に奔走し、皇室の下賜金と華族の寄付金で楽善会訓盲員(筑波大附属聴覚支援学校の前身)が設立されました。
こうした山尾ほどの人物でなければ「働いて働いて…」という言葉は似合いません。また、訓盲員に皇室の下賜金が寄せられたことからも、弱者に目を向けるのは皇室の伝統であることが伺えます。そして番組の構成としては、現政権に阿って薩長出身の明治の元勲らの功績を過度にアピールしたりせず、比較的バランスが取れていました。
ところで、当サイトを概観していただければ、「お雇い知識人」に頼らず「人材を育てれば、その者が皇室を守る」を地で行くような状態だと判るでしょう。貴方も「『男系デマ大全』一斉送付運動」に参加してみませんか?
文責:京都のS
1 件のコメント
京都のS
2026年9月28日
ふぇい様、掲載ありがとうございました。
「知恵泉」に関しては「不比等回」と「光明子回」がクズだったので徹底批判しようと思って観ましたが、そこまでではありませんでした。
(↓クズ群)
・「『知恵泉』不比等回で日和ったNHKを弾劾ス」( https://aiko-sama.com/archives/76328 )
・「『知恵泉』光明子回で全日本女性を侮辱したNHKを弾劾ス」( https://aiko-sama.com/archives/76604 )
・「『知恵泉』岩倉具視回で明治を礼賛しまくったNHKを弾劾ス」( https://aiko-sama.com/archives/77291 )
(↓かなりマシ)
・「『歴史探偵』持統天皇回で後一歩まで踏み込んだNHKを称賛ス」( https://aiko-sama.com/archives/77100 )