宮内庁HP 上皇陛下のご近影(お誕生日に際し)令和3年 https://www.kunaicho.go.jp/page/kaiken/show/50
“愛子さまを皇太子に!”
これが、私たち“心ある国民”の素朴な願いです。さて、自分は愛子さまが「立太子の礼」を迎えられなかったことを残念に思うものですが、かつては「立太子の礼」の記念した“切手”が発行された歴史があり、国民の「立太子の礼」に対する関心の高さが窺えます。
ここからご紹介しますのは、明仁親王(現在の上皇陛下)の「立太子の礼」が行われた時に発行された「記念切手」でありますが、まずは導入として当時の歴史的背景について書かせていただきます。
昭和天皇の第一皇男子としてお生まれになった明仁親王の「立太子の礼」は、1947年(昭和22年)に改正された「皇室典範」に基づき、当初、親王殿下が満18歳に達した1951年(昭和26年)12月に行われる予定でした。ところが、当時は連合国の占領下にあり制限された状態にあったので、それもままならない状況にありました(これは、南北朝時代や応仁の乱以後の戦国時代に状況が近い、と言い換えられるのかもしれません)。転機は1952年(昭和27年)に訪れました。サンフランシスコ講和条約が発効され主権が回復された後に、紆余曲折はありましたが、新生日本の門出を祝う年にふさわしいイベントとしての“立太子の礼”は、当時の国民を元気づける話題となりました(当時のNHK放送を見ますと、いかに国民がそれを待望していたのかが、よくわかります)。
次回からはいよいよ、明仁親王の「立太子の礼」が行われた時に発行された「記念切手」についてご紹介させていただきます。
参考文献
皇室事典編集委員会 (編集, 著) 2019『皇室事典 文化と生活』 (角川ソフィア文庫) 文庫 角川書店
皇室事典編集委員会 (編集, 著) 2019『皇室事典 制度と歴史』 (角川ソフィア文庫) 文庫 角川書店
文責: 大阪府 基礎医学研究者 52歳(男性)
「愛子さまと「立太子の礼」について」ブログシリーズ一覧
その1:はじめに
https://aiko-sama.com/archives/10669
その2:そもそも、立太子の礼とは?
https://aiko-sama.com/archives/10882
その3:裕仁親王の立太子の礼「記念切手」(1)
https://aiko-sama.com/archives/10930
その4:裕仁親王の立太子の礼「記念切手」(2)
https://aiko-sama.com/archives/10671
その5:昭仁親王の「立太子の礼」に至る歴史的背景
その6:昭仁親王の立太子の礼「記念切手」(1)
⇒3月23日(水)掲載予定
その7:昭仁親王の立太子の礼「記念切手」(2)、そして「立太子の礼」への願い
⇒3月25日(金)掲載予定
4 件のコメント
基礎医学研究者
2022年4月7日
ただしさん
コメントありがとうございます。このパート、切手ともっとも関連の薄いところなのですが、私の意図をくみとっていただき、ありがとうございました。最後のパートまで引っ張りますが、まさに自分そのようなことを意識して、このパートを書きました(前置き長いねん状態ですが……( ̄▽ ̄)
ただし
2022年4月5日
戦後の日本の、多くの国民が、待望していたのですね。
それは、ひょっとすると、今の長引くコロナ禍の中で、愛子皇太子の誕生を待望する多くの国民の気持ちと、同じかも知れませんね。
(*^∀^*)
基礎医学研究者
2022年3月21日
ダダさん
コメントありがとうございました。いや、すみません。今回の明仁親王の立太子の時代背景は、本文には「南北朝や戦国時代」のことをかきましたが、それは私たちの「令和」にもそのまま置き換えられるとおもいますので、つい前置きが長くなってしまいました(;^_^A。しかし、タイミングというものはやはりあるようで、この間、主権が制限された時期に「立太子の礼」が敢行されなくて、個人的には本当に良かったと思います(そもそも、この時期もしも昭和天皇の尽力がなければ、「天皇制」の存続の危機もありましたので)。そのようなことを、おそらくは理屈ではなく肌感覚で感じた国民の気分が、”立太子の礼”そのものへの歓迎につながったのではないかと、これを書いていて思った次第です。
ダダ
2022年3月20日
立太子の礼、そのものに国民の関心が集まったのですね(*^-^*)
今回も焦らしますね。次回の切手紹介を楽しみにしています!
※参考文献が面白そう・・・(´∀`*)