伝承、伝説から女性天皇を考える(前編)

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公論サポーター九州支部のぷにゅっくすと申します。
北部九州にある国境の島、対馬。
博多港から高速船で約2時間のこの島には、天皇にまつわる様々な伝承、伝説が残されています。


現地の観光案内所での紹介を引用して、こちらに一部抜粋したいと思います。

−対馬は、『古事記』の国産み神話では、イザナギ・イザナミ2神の「国産み」により大八島(おおやしま)のひとつとして誕生します。
…対馬には多くの神々が鎮座していますが、女性のイメージで描かれることが多いようです。
『古事記』における対馬の別名は「アメノサデヨリヒメ」。…海の女神を連想させる神名です。また、同じく海の女神である豊玉姫や、
…神功皇后など、…女神たちがこの島で信仰され、語り継がれてきました。−


−古事記では、天皇家の祖先は高天原から地上に降りてきたと伝えられています。天皇家の祖先は、まず山の神の娘と結婚して
山の力を得て、その子は海の神の娘と結婚して海の力を得ます。天皇家の祖先である彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)と、
海の女神・豊玉姫が出逢った場所こそ、対馬の中央に広がる浅茅湾の最深部、和多都美神社であったと考えられています。−

このような紹介文にある通り、対馬では、女神が祭られている神社が多くあり、それらは古代の朝廷にとって重要とされていたところもあります。
このような伝承から、古代では、天皇の祖先が女性と結婚することで権威を得るとあるように、男尊女卑的なものは見受けられませんし、いわゆる神武天皇に続く男系の血こそ尊いといった思想とは、かけ離れていることがわかります。
また、対馬そのものが女性名であり、女神が多く信仰されていることからも、古代において女性の権力者が実質的に力を持ち、指導力を発揮していたことが読み取れるのではないでしょうか。

時は流れ、現代においては、男系の男子でなければ天皇の資格は持てないということになっていますが、これは明治期に明文化されたルールです。
古代の伝承が示す通り、女性が天皇になっても何らおかしいことではなく、むしろ日本の本来の姿に戻るような気がしてなりません。
愛子さまが皇太子になり、次の天皇になったとしたら、対馬にいる女神たちもさぞ歓迎することと感じます。

前編では対馬の伝承を紹介しました。
後編では、壱岐島、博多の伝承から、更に思考を深めたいと思います。

文責  福岡県  ぷにゅっくす


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【8/6~8/15 天皇制を考える10日間】プレイバック
昨年、「天皇制を考える10日間」シリーズとして掲載した4ブログです。

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6 件のコメント

    京都のS

    2022年8月9日

     ぷにゅくす様、そうそう、因幡の白兎ですね。ワニザメを騙して隠岐へ渡ろうとした素兎は気付いたワニザメに皮を剥がれて瀕死でしたが、治療法を教えてくれたオオナムジに感謝し、ヤガミヒメが選ぶのは八十神(モブの兄神ら)ではなく末弟のオオナムジだと予言しました。これに怒った兄神らが木の叉に挟んでオオナムジを殺しました。後にはスセリヒメに見初められてスサノオの後継者にもなりますし、八千矛時代には越国のヌナカワヒメにも逢いに行きますし、オオナムジ(大国主)は呆れるぐらいのモテ男ですね。
     ワニザメと言えば、豊玉姫も玉依姫もワダツミの娘ですが、どちらも正体はサメでしたね。
     さぁ、このままのテンションで後編も楽しみにしています。

    ぷにゅっくす

    2022年8月8日

    ダダ様
    コメントありがとうございます。確かに、日本の神は神といっても得意不得意もあり、結婚したり子供を生んだりと、西洋のGODとは全く異なる、人間味のある存在ですね。なので、日本の神話は、大昔の人の口伝の歴史とも思います。

    京都のS様
    詳細な分析ありがとうございます。とても勉強になりました。
    女性が気に入るか否かで結婚が決まるというのは、出雲、因幡の白兎伝説でも見られた光景ですね。
    対馬の和多都美神社でも、御神体は龍のイメージで伝わっておりまして、本殿にある御神木の根っこが一本だけ、御神体とされる磐座の方向へびゅーっと伸びてまして、地元では大変敬われているそうでした。
    浦島太郎については記述がありませんが、竜宮城という表現で、古代の和多都美神社を紹介する案内もありまして、確かに古代から中世にかけて、当地は日本と大陸の間の寄港地として賑わい栄えていたことと、豊玉姫命が敬われていたことで、竜宮城というのもあながち間違っていないかなと感じました。

    基礎医学研究者様
    コメントありがとうございます。対馬は今年落成したばかりの対馬博物館があり、古代ももちろんのこと、対馬宗氏といった武将や、元寇のことも詳しく展示されておりました。支那、朝鮮のフロントラインであるので、豊臣秀吉や、徳川家康から大陸側への要求と、大陸側からのプレッシャーとで大変苦慮していたそうです。また、元寇で甚だ被害を受けた復讐として、倭寇としての活動もあったとのことで、新しい視点も得られました。

    基礎医学研究者

    2022年8月7日

    対馬というと、戦国武将の宗氏くらいのイメージしかなかったので(かなりマイナーですが(;^_^A)、勉強になりました。なるほど、対馬≒アメノサデヨリヒメ→海の女神を連想させる神名、なのですね。そして、やはり現在のダンケーという考え方が、明治以降に顕著になってきたことが、リマインドできました。
     後編にも、期待しております。

    京都のS

    2022年8月7日

     下の私のコメに関係する記事は「双系システムの成立過程の考察する(承)」( https://aiko-sama.com/10589-3 )です。番宣告知みたいで申し訳ないです。

    京都のS

    2022年8月7日

     「和多都美神社」が対馬にある事実は興味深いです。瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が降臨したのは日向国(宮崎県)とされてきましたが、木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)との間に出来た御子である火折尊(ホオリノミコト)=彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコ)=山幸彦が、海神(ワダツミ)の娘である豊玉姫(トヨタマヒメ)と出会った場所が対馬にあるのであれば、日向(ひむか)とは九州全域を指す言葉であり、天孫降臨の地も福岡辺りだった可能性が高くなります。
     そして、記紀神話における山幸彦と豊玉姫との出会いの件は、女性の側から気に入らなければ婚姻が不可であることの傍証の一つです。他の事例ではイザナミ→イザナキ、ヤガミヒメ→オオナムジ、スセリヒメ→オオナムジ…です。つまり恋愛や婚姻においては女性の意思が尊重されてきたことを意味します。
     以下は私の持論ですが、記紀神話の中で海洋民的要素を含む話は日本海側で起こると考えています。上田篤氏の『縄文人に学ぶ』によれば、縄文前期に南洋から渡って来たコシ族(ポリネシアン)は列島の日本海側に定着した可能性があるからです。だから、ニニギ→ヒコホホデミ→ウガヤフキアエズという日向三代の物語が九州北部の日本海側であったことなら持論とも合致します。そう言えば宗像三女神を祀る宗像大社も福岡にありましたね。やはり女(神)が強いのは日本側ですね。そうそう、山幸彦の神話がモデルの一つと目される昔話の浦島太郎は『日本書紀』にある「浦嶋子」が原型だそうで、丹後の浦嶋神社に伝承が残っています。

    ダダ

    2022年8月7日

    神が最初から全知全能ではなく、世代を経て(女性と結婚することで)山や海の力を得ていくのが面白いです!
    対馬の別名が女性名であることにも、日本神話の特徴(女性神の天照大御神が最高神)が出ていると思います。
    後編も楽しみにしています!

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