博愛と競合の間(起)~精神の三層構造

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 以前、筆者は当サイトに「双系システムの成立過程を考察する」という一文を投稿しましたが、その序論では朝日新聞の1997年元旦の社説にあった「日本人の精神は三層構造」説から説き起こしました。その説では表層から①明治開化と敗戦で開かれた意識の層、②朱子学的な武家文化の層、③神社信仰的な無意識の層となり、朝日紙は②と③が噴出したら好戦的になるから①を強化しろ(もっとグローバル化しろ)と叫び、これを施光恒氏が自著『日本人は本当に流されやすいのか』で批判しましたが、施氏や藤井聡氏は②(嫁入り婚:男系継承)と③(通い婚&婿入り婚:双系継承)との違いを認識せず、両氏の師匠(西部邁)が皇統の女系継承を公認する立場だったにも拘わらず男系継承が正統だと強弁したので、筆者は徹底批判しました(参照:「師匠の思想で以て高弟2名を弾劾ス」)。

 さて、ジグムント・フロイトによると人間の精神は❶自我(現実への適応)・❷超自我(道徳規範)・❸エス(衝動的欲求)という三層構造になっているそうです。〇と●を対応させると、①はグローバル化された現代日本での処世術、②は儒教的な振る舞いが道徳的とされてきた慣習、③は①や②に反発したい本心からの欲求と捉えられます。左翼人士は外国様に良い顔を向ける処世術❶を大事にしろと言いつつ私欲❸も全開でOKと言い、自称保守人士は因習に過ぎなくなった慣習❷でも伝統として保守せよと言うでしょう。一方、真正保守の故西部邁氏は『日本人と武士道』の中で、精神の中心領域には信仰⑶、その外側に道徳⑵、もっと外には技術⑴があると言いましたが、これも上記の〇や●と対応するはずです。当然ながら、西部氏なら⑴と⑵と⑶の間で対立が生じたら時処位に応じて平衡を取るはずです。

 以上を踏まえつつ次章からの進め方ですが、米国発のキャンセルカルチャーが蔓延する現状を放置すればタレントだけでなく皇室までがキャンセルされかねないため、自称保守とは違った切り口でグローバリズム(≒①)を批判し、これを無批判に受け入れる日本的世間のヤバさも炙り出し、さらに近代化に伴って伝統的な規範が因習と化した点(≒②)にも迫ります。メインテキストは岸田秀氏の『日本がアメリカを赦す日』です。岸田氏は個人の精神分析を国家や民族といった集団にも応用して日本人論や比較文化論を展開しますが、同著では日米戦争に至った理由も分析しています。本稿は前掲書を中心に進め、タイトルも後章で回収します。 
(承)へ続く。    

文責:京都のS

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