
「博愛と競合の間(結)」( https://aiko-sama.com/archives/35949 )
フランス革命で掲げられた三福対は「自由・平等・博愛」ですが、本論の(結)では、本来の「博愛」は「同胞愛」≒ナショナリズム(国民主義)だとして国家論を展開しました。しかし個人の「博愛」については未だ論じていません。そこで今回(余)は「博愛」も射程に入れます。まず多くの場合において「自由」と「平等」は対立しますが、単純左派なら「博愛」が前二者を調整できると思いがちです。しかし、例えば経済問題では、政府が新自由主義を採用すれば自由の過剰(放縦)と格差の過剰(差別)が同時進行し、逆に社会主義を採用すれば平等の過剰(平準)と規制の過剰(抑圧)が同時進行します。どちらの状態も個人が「博愛」を発動して済む問題ではありません。ちなみに現代のネオリベ日本では子ども食堂や高額寄付が「個人的博愛」に該当しましょう。
さて、上記のような状態を踏まえて故西部邁氏は「自由・平等・博愛」と「規制・格差・競合」との間で平衡を取って「活力・公正・節度」に向かうべきだと語りました。規制撤廃&自由放任&格差拡大(競合過剰→酷薄)のネオリベ日本における博愛とは何でしょうか。カネが動かないことによる不況とヒト・モノの供給不足による物価高を併発するスタグフレーション下にあっては、適切な財政出動(ケインズ政策)こそが「国民的博愛」であり、逆にカネが回り始めて需要過剰から景気が過熱(競合↑)した場合には財政を絞ることで競合は適正化するはずです。そして、このケインズとハイエクの平衡こそが活力・公正・節度を達成すると私は考えます。しかしながら、万全を帰した政治が為されても制度の狭間に墜ちたり不運に見舞われたりして這い上がれない国民は必ず現れます。そんな場合に経済的安定をもたらす制度がセーフティーネット(国民的博愛)であり、また精神的安定をもたらす存在が宗教であったり皇族方の公的行為であったりすると思われます。そして皇族方の「個人的博愛」は一切の偽善が無い「公的博愛」だと言えます。
現代のような危機の時代にあって無償の「公的博愛」を示してくださる皇族方に対し、我々は「節度」を以って接してきたでしょうか?「僕の考えたデントー」を振り翳しつつ皇族方の意思も無視して制度設計したり、皇族方や関係者の捏造スキャンダルに基づいてキャンセルしたり、秋篠宮家を貶める一方で愛子様を持ち上げるという欺瞞を働いたり…と余りにも酷薄な態度を取り続けていないでしょうか?
文責:京都のS
7 件のコメント
京都のS
2024年8月8日
「博愛と競合の間」シリーズの続編とも言うべき「合理と感情の間~良識なき言論人を葬送せよ!」( https://aiko-sama.com/archives/38156 )もご覧ください。
京都のS
2024年4月30日
続編の「博愛と競合の間(余)~圧倒的に節度が足りない!」( https://aiko-sama.com/archives/37381 )も読んでください。
京都のS
2024年4月13日
ダダ様、※ありがとうございます。「博愛と競合の間(転)~日本的人間観」で「日本的博愛」とは「譲歩」のことだと書きましたが、当然これは「公的博愛」(皇族方の真摯な活動)とは何の関係も無い「私的博愛」(とりあえず謝っとくかw)です。確かに現場で真剣に考えながら実践されている皇族方の態度は保守のソレだと言って差し支えないかと思われます。
「博愛と競合の間(起)~精神の三層構造」( https://aiko-sama.com/archives/35934 )
「博愛と競合の間(承)~有限ゆえ価値希求」( https://aiko-sama.com/archives/35943 )
「博愛と競合の間(転)~日本的人間観の病理」( https://aiko-sama.com/archives/35946 )
ダダ
2024年4月3日
皇室と国民の双方向の敬愛を実現するという意味で、「敬宮殿下」や「愛子」という名称にも、公的博愛を感じてしまいます。
国民を代表する(はずの)国会議員をお手本にできず、また、公的態度を見ることが出来ない以上、日本国に必要なのは保守を実践している象徴天皇・皇室になると思います。
京都のS
2024年4月2日
SSKA様、※ありがとうございます。愛子様の日赤への就職は、束の間の自由を英国留学で満喫されるという皇族方の慣行を覆すもので、これは国民へ示された公的博愛なのだと感じます。特に「青年ボランティア課」への配属は今年の元旦に発災した能登半島地震を踏まえたものでしょうから、なおのこと有難いです。
政治屋も言論人もマスコミ人も某誌編集部の校閲担当も、全く成っちゃいません。
SSKA
2024年4月2日
愛子様は公の志の下で就職されて両陛下は再度の被災地訪問を計画されている中で議員は女性皇族差別虐めパワハラセクハラ法案を大真面目に国会で審議中で賛同者も少なくないのだから、どれだけ恩知らずなんだろうと。
京都のS
2024年4月2日
掲載ありがとうございました。当サイトに書いた「ケインズ主義」に関する記事は以下です。
・「ケインジアン双系派がケインジアン男系派を駆逐する!」( https://aiko-sama.com/archives/36871 )
・「ケインジアン双系派がケインジアン男系派を駆逐する! 2nd season」( https://aiko-sama.com/archives/37083 )
・「インペリアル・グローバリズムという悪夢2」( https://aiko-sama.com/archives/33381 )
・「時処位の変化と制度改革」( https://aiko-sama.com/archives/32084 )
・「歴史から自由になった日本人民は皇室を戴けるか?(下)」( https://aiko-sama.com/archives/22681 )
・「権力者・愛子天皇の治世を仮想してみれば…」( https://aiko-sama.com/archives/22571 )
・「齟齬が生じたなら万難を排して改めよ!」( https://aiko-sama.com/archives/34107 )
・「思想マトリックスに皇統問題を加味してみた(表)」( https://aiko-sama.com/archives/29761 )