【愛子さまの軌跡】31. 「忍ぶ恋」を詠んだ皇女に思いを馳せて 卒業論文をご提出(昨年末)

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出典:宮内庁HP「愛子内親王殿下のお誕生日に際してのご近影」(令和5年)


令和5(2023)年12月22日
愛子さま 22歳の時

卒業論文をご提出

テーマは「式子(しょくし)内親王とその和歌の研究」。
※式子内親王は、平安末期を生きた後白河天皇の皇女(愛子さまと同じお立場)で、代々皇女(たまに皇孫女)が担われていた賀茂神社の斎院(斎王)も務めていた。

翌1月、今年の歌会始の儀で、愛子さまは和歌が時代を越えて現代まで受け継がれてきたことへの感慨をお歌に詠まれた。
   幾年の
   難き時代を
   乗り越えて
   和歌のことばは
   我に響きぬ

ご卒業後に伊勢神宮とともに斎宮歴史博物館にも訪問された際には、「斎王になった天皇の娘は、恋をしてもいいのでしょうか。」と質問された。

(展示時「ココ好き」シール 10枚)



愛子さまの作文や小説に共通しているのは、
自分ごととしてテーマに真剣に向き合われていることです。

ご自身の成長体験を綴られた「大きな力を与えてくれた沼津の海」はもちろんですが、
フィクションである短編小説「看護師の愛子」でも、主人公にあえてご自身の名前を当てられています。

中学卒業時に書かれた作文「世界の平和を願って」でも、平和を人任せにせず、日頃からの感謝や思いやりという、自分自身にできることにお考えを巡らされています。

そして小学6年のときに書かれた「藤原道長」では、
「藤原氏に権力が集中していても、天皇には仕事はあったのだと思う。」として、
「天皇の仕事」に思いを馳せられています。

「天皇(になられる方)の娘」が、世襲で受け継がれる「天皇の仕事」に思いを巡らせられているのであれば、
それは一般人が思うような、他人ごとの感覚とは一線を画しているであろうことは容易に想像がつきます。


ご幼少の頃より「天皇の仕事」に思いを馳せられた愛子さまは、
現在、皇室の一員として、
天皇皇后両陛下や、上皇上皇后両陛下のなさりようから学ばれた
「国民と苦楽をともに」という皇室の伝統的精神を、
「困難な道を歩まれている方々に心を寄せる」というご自身の方向性へと昇華させました。

このように対象をご自身の在り方に結びつけて向き合われる愛子さまが、
「大学における学業の集大成」と位置づけられる卒業論文で、
ご自身と同じ皇女という立場にあった式子内親王とその和歌を
テーマに定められたのですから、
愛子さまがそこにどのような思いを込められているのか、
考えずにはいられません。


式子内親王は、皇女であり、賀茂斎王であると同時に、
同時代を代表する女流歌人でもあります。

「新古今和歌集」の49首を始め、
天皇や上皇の命により編纂される勅撰和歌集に
合計で120首以上の歌が選ばれています。

代表歌は、百人一首にも選ばれた次の一句。

   玉の緒よ
   絶えなば絶えね
   永らへば
   忍ぶることの
   弱りもぞする

密かに抱く恋心が漏れてしまうことを恐れる情熱的な歌です。

愛子さまは、この歌を念頭に置かれたのか、ご卒業後に斎宮歴史博物館をご訪問された際に、
「斎王になった天皇の娘は、恋をしてもいいのでしょうか。」と質問されました。

実際に式子内親王がこのような恋心を秘めていたかどうかは定かではありません。
当時は、お題に沿って他人の心情を想像して詠む「題詠」が盛んでもありました。

説明員は、愛子さまのご質問に対し、「斎王には恋愛は許されなかったから物語になった」と説明しました。
本来、恋愛の許されない斎王が「秘めた恋心」をお題として詠んだからこそ、強いインパクトを残したということでしょうか。


ここで思うのは、時代が時代なら、恋愛の許されない斎王になられたかもしれない皇女というご自身のお立場を、
愛子さまはどのように感じられているのだろうか、
ということです。

恋バナを囃し立てるのが常套手段の週刊誌情報をそのまま鵜呑みにはできませんが、
愛子さまが恋愛に関心をお持ちであるようだということは、よく報じられています。

ちょうどこの頃も、コロナを気にせずようやく自由なキャンパスライフを楽しめるようになった愛子さまが、
男女複数人のグループで遊園地や学園祭を巡られた様子をグループ交際として報じた記事もありました。


真偽はどうあれ、人として恋愛に関心を持たれるのはごく自然なことですし、
自由恋愛の末に結ばれるのであれば素晴らしいことです。

もし愛子さまが、式子内親王とその和歌を研究テーマに選んだ背景に、
皇女であることへの葛藤や、恋愛に対するご自身の思いが含まれているのならば、
時代にそぐわない余計な障壁は取って差し上げるのが人としての道でしょう。


愛子さまは、ご卒業に際しての文書回答で、
「特に締切りが近づいた昨年末は、気が遠くなるような毎日を過ごしておりました。」
というほど熱心に研究に取り組まれました。

指導教官の中野貴文教授は、卒業論文だけでなく課題のレポートを常に締め切り直前まで考え抜かれる愛子さまの「粘り強さ」に感嘆し、
「共に学び、研究を深めることがとても楽しゅうございました」
と語っています。

愛子さまの「大学における学業の集大成」
もし公開されることがあれば、ぜひとも読んでみたいものです。


※愛子さまの作文・小説については、下記のブログで紹介しています

「大きな力を与えてくれた沼津の海」
【愛子さまの軌跡】17. 学習院伝統の遠泳合宿で500メートルを泳ぎ切る(11歳の頃)
「藤原道長」
【愛子さまの軌跡】18. 作文「藤原道長」で「天皇の仕事」に思いを馳せられる(12歳の頃)
「看護師の愛子」
【愛子さまの軌跡】21. 「看護師の愛子」を発表(13歳の頃)
「世界の平和を願って」
【愛子さまの軌跡】24. 女子中等科ご卒業、「世界の平和を願って」発表(15歳の頃)


参考文献:
愛子内親王殿下学習院大学ご卒業に際しての文書回答
愛子内親王殿下日本赤十字社ご就職に際しての文書回答
愛子さまが卒論のテーマにした皇族女性「式子内親王」とは?平家全盛から源平合戦までの<平安末期>を生きた波乱の人生について日本史学者が解説
愛子さまと卒論テーマの式子内親王:和歌から学ばれた大切なこと
締め切り直前深夜23時59分の粘り強さ 指導教官がみた愛子さま
愛子さま「お相手探し」の鍵握る親友同級生 学園祭での“ダブルデート”にも同行


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文責:静岡県 L.K

2 件のコメント

    ひとかけら

    2024年9月12日

    上皇陛下と上皇后陛下の恋愛は周囲が御膳立てした部分が多かったのが事実ですが、最後の決め手になったのは上皇陛下の電話でした。近代的な家族観を作った御二人を筆頭に皇室に新しい風は吹いてます。
    是非、愛子さまには御自分の好きな相手と共に皇室を盛り立てて欲しいです。

    あしたのジョージ

    2024年9月12日

    卒業論文のテーマが「式子内親王とその和歌の研究」なんて、私にはさっぱり和歌らないですが、ご自分のお立場と式子内親王のお立場を重ねて見ているのかなぁと思います。
    私達一般国民にはわからない愛子さまの胸の内がテーマに表れているのかなぁと思いました。
    ぜひその卒業論文を読んでみたいですね。

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