【論破祭り】「ゴー宣」感想紹介:竹内は常識の海に沈んでほしい!~基礎医学研究者さん

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週刊SPA!最新号『ゴーマニズム宣言』「Y染色体はわしも持っている」の感想紹介です。

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ゴーマニズム宣言第179章「Y染色体はわしも持っている」、大変楽しくかつ興味深く読ませていただきました。まず、「愛子天皇への道」サイトで“論破祭り”を後方支援している立場としては、よしりん先生の竹内久美子(以下、竹内)の描き方が、非常に痛快でした。これは強調しておきたいのですが、論破祭りにおける竹内の描き方には誇張などは少しもなく、竹内の言動はまさに「暴言」のオンパレードなので、ぜひ世の中にひろまってほしい知見であります(「女系天皇が皇室の方ではないことをご存じない!」、女系天皇は「別王朝」の方・・・頭がクラクラしてきそうです)。

 次に、正直いいまして、「このような言説をしている人の一体どこが信じられるのだろう?(これは、竹田恒泰と同じ感覚)」という気分でございますが、竹内は「動物学研究家」という理系の肩書を利用しているのが気になります。もしご本人がそう思っているのならば、言葉の定義が“雑”だと思います。例えば、本章の1ページ目に「男系継承」と「女系継承」の定義が明確に描かれています(この定義から、「皇統」は双系継承であると)が、竹内が生物学者を名乗るのならば、「男系継承(生物学では父系継承(paternal transmission))では父親の遺伝因子を継承」、「女系継承(生物学では母系継承(maternal transmission))では母親の遺伝因子を継承」ということは、明確に述べるべきなのでは?と思いました。ちなみに、前者はY染色体、後者はミトコンドリアDNAであります。ここをぼやかして「伝統のY」とか言われても、私見では何の説得力もなく、逆にそれに説得される方々がいる!というのが不思議でなりません。

 続いて、自分も理系の研究者なので、こんな「トンデモ話」をまき散らしている著書が、同業者の支持を得られているのかが気になりましたが、本章で実際には日高敏隆先生を始め、動物行動学者から批判されていることがわかり、安心しました。100歩(というか1000歩(笑))譲って、動物の繁殖行動が遺伝因子に規定されていることは認めるとしても(進化遺伝学的に重要なのは次世代を残すことにあるので)、よしりん先生がいわれるように、それを無限に拡大解釈していくことは、大問題だと思います。移植の適応を調べるために重要な遺伝子群であるHLAのハプロタイプ(遺伝子の“型”が数珠のようにつながったもの)のような知見が蓄積してくると、男女がパートナーを選ぶときには、実はHLAのハプロタイプが離れている場合が多い、というはあるようですが、それはあくまでも“そのような傾向がある”ということであって、竹内のように断定的な言い方はしないと思います。
 最後に、私たちが日常で感じている「常識」はとても大切ものだと、本章を読んでつくづく思いました。「皇位の安定継承」問題を解決してくために、竹内のような人は「常識の海に沈んでほしい!」と、心から望むものであります。

*蛇足的ですが“Yさま近影”(走査型電子顕微鏡によるY染色体像)はサイコーでした。Y染色体の名称の由来は別に“Y”のような形に由来するのではないはずで、この像は合成写真かと思っていましたが(笑)、染色体がよく見える時期によっては、Y染色体が凝集して(ヘテロクロマチン構造が多いため)、まるて”Y”のように見える、ですかね(自分、よく知りませんでした)。

大阪府 基礎医学研究者

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2 件のコメント

    基礎医学研究者

    2022年11月19日

    殉教さん、コメントありがとうございました。「学者」による粉飾、確かにその通りですよね。やや同業で恐縮ですが、自分から見て、まあまあまともな人は、同じ「学者」でもそんなに断定的なことはいいません。自分は自然科学の分野しか知りませんが、コロナで出てきた「専門家」は、最初からやけに断定的で、いろいろな可能性を考える”葛藤”がにじみ出ていなかったように思えます。
     ましてや、社会科学者は世の中の人々が対象なわけですから、自分たちの都合で「学問っぽい粉飾をした言説」を広げるのは害悪にしかならない、と自分も思います(現に、「皇位の安定継承問題」でそれは起きているので)。
     最後に、殉教さんのいう「気づくための第一歩」は、やはり常識感覚で、それが「公論の形成」への第一歩にもなろうかと、思う次第です。

    殉教@中立派

    2022年11月18日

    コロナ煽り騒動により「学者への信頼」が、激しく失墜した時代ですが。
     ケケ内が追放された事により、まだ最低限の「学問への矜恃」は残っていると思いました。ただ、コピペ施光恒のように、学問自体を舐めている「疑似学問(スード・アカデミズム)」に、騙される民衆がいる事が、気がかりです。
     連中は、学問の中の「都合のいい要素」を、つまみ食い&拡大解釈し、「学問っぽい」粉飾を施します。「宗教っぽい粉飾」を施した統一協会なども跋扈している時代、「価値の峻別」をする力が、もっと民衆にあって欲しいですが。それでも、民衆が「気づく為の一歩」は、私達で提供する事が出来る(たけし社長と共闘した教訓)。その為にも、公論を磨いていき、それぞれの役割で戦い続ける事が、必要だと感じました。

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