「大奥2」は最終回も激動展開でした。朝廷から慶喜(大東駿介)が次期将軍に任じられ、同じ頃に孝明天皇が崩御し、和宮(岸井ゆきの)宛てに届いた帝からの御宸翰には「謀反人は薩摩と岩倉」とありました。孝明帝毒殺説は根強くあります。大政奉還で徳川は新政権から排除され、官位と領地も召し上げられると知った慶喜は「鳥羽伏見の戦い」を起こしますが、錦の御旗に戦意喪失して江戸へ逃げ帰りました。
慶喜「私が朝敵になってしまうではないか…半分宮家の血が流れておる私が賊軍の将に成り下がったと言われるなど承服できるか」※明治天皇の(女系の)玄孫は逆賊行為も平気ですが…。
慶喜は勝海舟(味方涼介)に新政府軍との交渉を一任し、天璋院・胤篤(福士蒼汰)には生まれ故郷である薩摩に取り成せと要望し、先帝の妹宮である和宮も利用を画策しました。
和宮「なんで私が実家に、慶喜の命乞いせないかんの…上さん(家茂)はあの男に殺されたようなもんなんやで?」
胤篤「私だって嫌です…家定公に毒を盛ったのは…徳川(慶喜)かも知れぬ…だからと言って江戸が火の海になることを家定公は決してお喜びにはならない」
胤篤は薩摩へ、和宮は新政府軍総督(有栖川宮)へ文を書きましたが、幕府側が恭順の意を示しても薩摩は引かず、西郷隆盛(原田泰造)と勝海舟の談判に胤篤と和宮も同行を決意し、江戸薩摩藩邸での西郷と勝の会談が始まりました。西郷は「慶喜の首を差し出せ」と引きませんが、徳川の当主に拘る理由は何でしょうか?
西郷「女の将軍を奉じ、国を閉ざし、世界から遅れた恥ずかしか国にした家の当主だからじゃ…日本より遥か進んだ西洋の元首は皆男じゃ…赤面疱瘡が終わった後でも13代・14代まで女子が将軍を勤めておる…左様な風がこの国を世界から遅れた恥ずかしい国にさせてしもうたとじゃ…左様なことが海ん外に知れれば、日本は未開の蛮族の国と蔑まれてしまいもす…徳川に消えてもらうことで、この国は生まれ変わったと示さねばなりもはん」※変形男尊女卑&自虐史観です。
和宮「蔑まれたら誇り返したらええやろ…どれだけ我が御国が素晴らしいか言いくるめたらええやろが!薩摩隼人はそんなことも出来ひんのか!」※自国の文化を誇れるのがナショナリストです。
和宮は先帝の御宸翰(薩摩と岩倉が謀反人だと訴える内容)を見せました。西郷は偽物と疑いますが、和宮は「誰も見たことの無い錦の御旗で徳川を逆賊に仕立てて大勝ちした」と西郷を論難し、「これは私らの錦の御旗や!」と続けました。西郷は考えた末に「将軍は男で、降嫁した和宮が皇女なのが証だ」という屁理屈を付けて譲歩しました。次に和宮が西郷にぶつけた言葉が振るっています。「江戸は女将軍の膝元で女たちがつくってきた町や…歴史は好きなように歪めたらええ、けど江戸の町には傷一つ付けんといて!」※慶喜や西郷より和宮の方が優先順位や時処位を弁えています。
文責:京都のS
1 件のコメント
京都のS
2023年12月16日
以下は「大奥」(男女逆転版)を題材に書いてきたブログの一覧です。
「「大奥2」の慶喜がカッコ悪いと思ったら、「男系固執」なんて止めるべし!」( https://aiko-sama.com/archives/33233 )
「『世の光』としての愛子様に立っていただく時は今ぞ!」( https://aiko-sama.com/archives/32995 )
「市井の尊皇攘夷派が立つべき時では?」( https://aiko-sama.com/archives/32652 )
「時処位の変化と制度改革」( https://aiko-sama.com/archives/32084 )
「我が身だけが大事な「ザ・保身派」こそ撲滅すべし!」( https://aiko-sama.com/archives/31282 )
「伝統と因習の間~男女逆転大奥より」( https://aiko-sama.com/archives/22776 )