公を内在化した個人の連帯は世界を変えられるか?

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 「御上先生」(TBS)では、文科省から隣徳学院の3年2組の担任として赴任した御上孝(松坂桃李)は成績が落ちてきたことを理由に文科省への召還を打診されました。御上は、詰め込み教育から考える教育へ変えると成績(テストの点)が一時的に下がり、それは考える力が付いてきた証拠だと分析しました。御上に窮状を救われた椎葉春乃(吉柳咲良)は「例えオカミ(御上の徒名)のためでも、誰かのために成績を上げることはしたくない」と言い、次元賢太(窪塚愛流)は「自分のためにやる、結果としてオカミも救う」とまとめ、各自の勉強法を公開シェアして成績アップを目指しました。それは御上を担任に留めるという3年2組の公的目標を個人が内在化したことを意味し、まさに「個の連帯」と呼べるものでした。

 また、その少し前にHRで富永蒼(蒔田彩珠)が語ったことは「オカミが言ったことで覚えてるのは、私たちが目指してるのは上級国民」「死際に『アンタ上級国民だったね』と言われたら屈辱的すぎる」「真のエリート、神に選ばれた者に成りたいってわけじゃないけど…ちょっとは役に立つ人間になりたい」「受験は目的ではなく手段…だからこそ、それを知った私たちが東大に行くことには意味がある」であり、これは自分が手にした議席や立場を手段ではなく目的と捉え、それを守るために国を亡ぼす決定も容易に下せてしまう人々への痛烈な批判となります。例えば、男系固執派の議員や言論人(個)が自身の議席や持論(私)、所属集団(集)での立場(私)を守るために皇室(公)滅ぼすケースが該当します。

 さて、劇中の文科省では御上の同期・槙野恭介(岡田将生)は上司の塚田幸村(及川光博)から、初の私立高校への官僚派遣制度が失敗と思われないためには御上召還に当たって異例の昇格人事が必要と言われ、御上が同期の出世頭になるのは嫌だろうけど「全体が上手くいくことの方が大切」と諭されました。つまり「私の集まり」としての「集団」の調和を最上位に置けという意味です。なお、物語は全ての伏線が上級国民の子女の隣徳への不正入学問題に収斂しつつあり、残念ながら倭建命の警告は皇室問題とは関わりません。

 最後に、公的目標のために活動する個人の集まり公論サポータ―当サイトであり、その活動が愛子様立太子を実現したなら、それは世界を良い方向に変えたことになると筆者は考えます。

文責:京都のS

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