合理と感情の間~良識なき言論人を葬送せよ!

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 フランス革命で掲げられた三幅対「自由・平等・博愛」は「規制・格差・競合」との間で平衡を取って「活力・公正・節度」とするのが故西部邁氏の結論でしたが、後に氏は4番目に「合理」と「感情」との間で平衡を取る「良識」を追加しました。

 英国の思想家バーナード・デ・マンデヴィルの著した『蜂の寓話~私的な悪徳は公的な便益なり』によれば、個々の蜂は私利私欲を追求しているにも関わらず、結果として巣全体の利益につながっているという逆説を例に挙げ、富める者の「悪徳としての奢侈的消費」が雇用を創出して経済成長を促す点を強調し、後に「神の見えざる手」を唱えたアダム・スミスやハイエクなどに影響を与えました。つまりBマンデヴィルは、人間は理性より感情で動く存在だと捉え、経済活動の動機も同様と考えたわけです。なお、社会性昆虫としての蜂は本能で動いているだけという生物学的論点は於きます。

 さて、故西部邁氏は『日本人と武士道』でマンデヴィルについて次のように語りました。西部氏は人間組織の感情共有体としての面を無視して利害調整体(合理)としか見ないハイエクを批判し、またケインズが貯蓄より消費を称揚した方が自らの有効需要理論(合理)に有利と見てマンデヴィル説を利用したと揶揄しました。つまりハイエクもケインズも経済理論は合理だけで、感情との平衡が取れていないと言えます。

 ところで、現代の富まぬ者による「非合理的で感情的な奢侈的消費」とは推し活やオタ活だと思われます。世間がジャニーズキャンセルに沸く中でも推し活に励んだ庶民(♀)には「大したことない」という常識(≒良識)が働いていたと言えます。政府の財政政策(消費)が機能しない現状(※財政法4条による)では、国民の経済活動が盛り上がる数少ない例が○活であり、従ってコミュニスト(左翼)かケインジアン(自称保守orサヨク)かハイエキアン(リベラル)かフリードマニアン(ネオリベ)かを問わず、人権(合理)を掲げて著名人を潰す行為に加担する言論人は馬鹿だと断言できます。

 そして当然ながら「愛子様推し」も合理でなく感情であり、従って男系主義(合理)を掲げて皇室を潰すような良識無き言論人は早々に葬るべきです。また西部邁の弟子を僭称する男系主義者には「理性以外の全てを失った人が狂人」というGKチェスタトンの言葉を贈りましょう。   

文責 京都市 京都のS

5 件のコメント

    京都のS

    2024年5月3日

     以下をリンクしておかないと始まりませんね。
    ・「ケインジアン双系派がケインジアン男系派を駆逐する!1st season」( https://aiko-sama.com/archives/36871
    ・「ケインジアン双系派がケインジアン男系派を駆逐する!2nd season」( https://aiko-sama.com/archives/37083

    京都のS

    2024年4月27日

     SSKA様、※ありがとうございました。男系派の行動原理として挙げられたうちでは、私利私欲=理性(合理)、私怨=感情となりそうです。「私利私欲」と「私怨」との間で平衡を取ったら「非常識」が顕現し、孔子のバランス(平衡)は私的領域だけに偏在し、政治・経済・社会・文化の全局面において全ての公的な価値が瓦解しそうです。そうなれば日本は公を体現する皇族方が生きていける空間で無くなります。

    SSKA

    2024年4月26日

    合理や理性を装いながら私利私欲や私怨塗れなのが男系の印象です。
    景気はマインドと常々言われる通りで上皇様が国民の経済や心情への深い配慮によりご自身の葬礼改定や譲位等の重大な決断をなされたのに、同様に未来を開く皇統で意に反し無視を決め込む人間の神経が理解出来ません。
    男系は明治元士族の妄執や大東亜戦争敗戦の怨念に現代の差別主義と時間を遡って敗北者のネガな気ばかり詰め込まれた陰鬱な日本式儒教「恨」の印象しか受けないのですが、皇室や国民の若い方々の高揚する気を奪わないで欲しいと明るい皇室報道の裏で日々感じています。

    京都のS

    2024年4月26日

     また、本稿は「自由と規制の間」( https://aiko-sama.com/archives/25940 )、「平等と格差の間」( https://aiko-sama.com/archives/26956 )、「博愛と競合の間」( https://aiko-sama.com/archives/35934 )につづく「間シリーズ」です。

     それから、ケインズ主義について書いた記事は以下です。
    ・「インペリアル・グローバリズムという悪夢2」( https://aiko-sama.com/archives/33381
    ・「時処位の変化と制度改革」( https://aiko-sama.com/archives/32084
    ・「歴史から自由になった日本人民は皇室を戴けるか?(下)」( https://aiko-sama.com/archives/22681
    ・「権力者・愛子天皇の治世を仮想してみれば…」( https://aiko-sama.com/archives/22571
    ・「齟齬が生じたなら万難を排して改めよ!」( https://aiko-sama.com/archives/34107
    ・「思想マトリックスに皇統問題を加味してみた(表)」( https://aiko-sama.com/archives/29761

    京都のS

    2024年4月26日

     掲載ありがとうございました。
     本稿「合理と感情の間~良識なき言論人を葬送せよ!」は、本来なら「合理と感情の間~あるいはケインジアン双系派がケインジアン男系派を駆逐する!3rd season」としたかったのですが、冗長になるので止めました(笑)。
     「愛子様への推し活」が最高潮に達するのは、やはり立太子~即位です。この絶対的慶事には、老若男女も貧富も関係なく皆が奢侈的消費をしてしまうはずです。これこそが「景気の『気』」というやつです。ここを目指さないエコノミストなどは合理だけで動く「悪のロボット」(笑)に過ぎません。
     そして「ケインジアンもハイエキアンもフリードマニアンもマルキストも全て合理主義者ですからマンデヴィル風の感情が欠けていないか?…それでは良識も導けまい」というのが本稿の論旨です。
     それでも、愛子様の立太子や愛子天皇の御即位という慶事の後に訪れる可能性が高い大不況(1964年の五輪後不況を想起すべし)を克服するにはケインズ主義の実践(財政法4条削除)が必要だというのが私の主張ですが。

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