蘇らせるべきは天照・玉依姫・神功女帝ら女傑のエートス

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 空前絶後の粉飾~にて讃岐国一之宮・田村神社の祭神は四道将軍の揃い踏み(吉備津彦、高倉下=大彦、天村雲=武淳川別…)だと書きましたが、実は当社の主祭神は倭迹迹日百襲姫命です。百襲姫と言えば「邪馬台国=北九州」説を採る者にとっては扱いに困る人物です。7代・孝霊帝の子とされる百襲姫は大物主神の妻問を受け(神婚)、翌朝に神の蛇体に驚いて座り込んだ時に陰部を突いて絶命し、遺骸は箸墓古墳(奈良県桜井市:巨大な前方後円墳:3世紀)に葬られたとされ、「邪馬台国=大和」説では「百襲姫=卑弥呼」とされます。ちなみに百襲姫は、西海道へ派遣されて温羅を討伐した吉備津彦(桃太郎のモデル)の姉です。

 さて、四道将軍は4人とも崇神帝の御世に派遣されましたが、崇神の大叔父である吉備津彦と義弟である武淳川別や日子坐王は同時代人と言えないほど年齢差があります。ここで愛子天皇へ続くべき~で用いた大王家の圧縮(実在が疑われる欠史八代をノーカウント初代・神武=10代・崇神)を適用すると「崇神の母・伊香色謎=神武の母・玉依姫」となります。

 伊香色謎は9代・開化帝との間に崇神帝を生んだだけでなく8代・孝元帝とも婚姻関係にあったとされ、この件は豊玉姫&玉依姫(海神の娘)の姉妹が彦火火出見&鸕鶿草葺不合の父子と各々結ばれた件と似ており、さらに百襲姫が三輪山の大物主(蛇)の妻問を受けた件は、玉依姫大物主の妻問を受けて大田田根子を生んだ件や事代主(鰐)の妻問を受けて姫蹈鞴五十鈴姫(神武の后)を生んだ件と似ており、これらの符号を眺めつつ無駄な足掻き~で説いた「事代主=大物主」を考え合わせれば、「百襲姫=玉依姫」という立論も可能です。

 そして本シリーズで何度も述べてきた通り、玉依姫(父は賀茂建角身=海神豊玉彦:子は磐余彦・五十鈴姫)は海人豪族・賀茂氏の女首長であり、磐余彦(神武)と五十鈴姫との婚姻によって畿内を掌握した大和王権の黒幕的な最高権力者でもあります。つまり、この位パワフルな女傑でなければ箸墓古墳(三輪山の麓:橿原宮の北東)の被葬者相応しくないと考えます。また、北部九州から畿内に移った玉依姫の3世代前は天照大神ですから、卑弥呼(天照大神)の墓は平原1号墳(福岡県糸島市:方墳:3世紀)だと思われます。ちなみに五社神古墳神功天皇陵:奈良市:4世紀末)は箸墓古墳と同規模の前方後円墳です。   

文責:京都のS

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