数百年前に分岐した2家を合流させたがる不自由集団

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 徳川家の家臣には水野姓の人物が多く、大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺」にも水野忠友(田沼派の老中:小松和重)や水野為長(松平定信の腰巾着・密偵の頭:園田祥太)が登場します。「べらぼう」の前半は田沼意次(渡辺謙)が無双でしたが、後半は松平定信(井上裕貴)が田沼政治を全て反転させるような寛政改革を断行します。ここで、田沼時代(1767~1786)の政策を学問自由化(洋学解禁)と重商主義(貨幣経済発展に即した税制改革)とケインズ政策(新貨幣発行&公共投資)だと定義し(※田沼政治はC 10th season」「C 25th seasonを参照)、定信の寛政改革(1787~1793)の政策を文武奨励(朱子学に基づく綱紀粛正)と倹約(礼記・王制篇に基づく緊縮財政)と重農主義(江戸が不況に若者が帰農?)だと定義しておきます。

 田沼派の老中・水野忠友は男子に恵まれなかったために田沼意次の四男・意正を養子に迎えますが、10代将軍・家治の死と共に意次が失脚すると、松平定信の報復人事を恐れたのか、娘婿の忠成に跡を継がせました。しかしながら、この水野忠成が老中首座として為したケインズ政策(貨幣改鋳で流通量↑)こそが、11代将軍・家斉の治世において文化文政の好況江戸町人文化の最盛期をもたらす端緒となった(※家斉の治世はC 9th season」「C 35th season」「C 38th seazon」「C 6th seasonを参照)のですから、ここには田沼イズムの継承を感じずにおれません。

 ところで、水野姓の幕臣と言えば天保改革(朱子学に基づく綱紀粛正&緊縮財政:1841~1843)を行った水野忠邦が最も有名です(※天保改革はC 8th seasonを参照)が、水野家の系図によれば、忠友・忠成に繋がる隼人正家と忠邦に繋がる監物家とは戦国期で分岐(徳川家康の母方の祖父の代:約500年前)しています。やがて隼人正家(田沼意次と親交を持った→洋学も認める自由!)と監物家(赤穂義士を預かった→朱子学しか認めない不自由!)は江戸後期には真逆の思想と志向に至りました。

 さて、分岐した2家が全く異質の存在になると言えば、室町初期(崇光天皇の代:約600年前)に分岐した天皇家(皇族:憲法1章伏見宮系(竹田恒泰が代表・親の代から国民:憲法3章が典型でしょう。この文化的に異質法的にも相容れない存在を無理やり合流させたがる不自由民主党」には『愛子天皇論3』の献本で解らせてやるべきでしょう。    

文責:京都のS

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