恥を知れ!~粋・武士道・朱子学より

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 日本的な美意識としての「粋」は、①媚態(モテ仕草)・②意気地(武士道的理想主義)・③諦念(仏教的非実現性)の3要素に分解することができます(※野暮天としての~参照)。②意気地が「武士道的理想主義」とされる理由は「江戸っ子は宵越しの銭を持たない」と「武士は食わねど高楊枝」との共通性によるでしょう。

 「武士道というは死ぬことと見つけたり」が有名な『葉隠』で山本定朝は、赤穂義士による吉良邸討入を「関西風の思い上がった武士道」と批判しましたが、武士が「生きるか死ぬかの瀬戸際で」直ぐ刀を抜かなくなった理由は、戦時の武人を平時の官僚に変えるべく幕府が官学として導入した朱子学のせいだと思われます(※~への道程参照)。これは乱世に疲弊した民の望んだ結果でもあり、故に一時的な風潮ではない時勢ですが、「花は桜木、人は武士」と憧れた存在の堕落を見て取った江戸っ子は、武士が失ったエートスを自らが体現すべく金にも命にも執着しない「粋」という美意識を育んだと言えます。遊郭での散財や女郎との心中は典型例でしょう。

 武士道を「堕落」させた朱子学は仁義礼智信忠孝悌の8徳目を重視しますが、これを為政者が武士の必修とした際に仁義より忠孝を尊んだはずです。主君への父祖への謀反を防ぐ効果が期待できるからです。大河ドラマ「べらぼう」では松平定信が初代・家康や8代・吉宗の定めた祖法を厳守し、米本位制堅持(商業課税軽視)、出版統制(幕政批判禁止)、倹約(緊縮財政)…を徹底し、特に倹約不況天明大飢饉との相乗効果で膨大な犠牲者を出しました。これは定信が時処位の変化への対応を怠り、かつ民へのや公的なより父祖への固執した結果だと言え、変化に応じて平衡を取った田沼意次の方が圧倒的に正しかったわけです。

 さて、リアルの現代日本でも同様のことが進行しています。高市政権(男系固執派)は、皇族方の悲願や尊皇心を持つ庶民の熱望よりも父祖の代が定めた「皇統男系主義」を上位に置きますが、「安定継承」「男系維持」を秤に掛ければ父祖の代ですら前者を取るはずです。ゆえに男系固執派」をも放り捨てる忘八だと言えましょう。のために命を惜しまなかった武士やモテるためにカネや命を惜しまなかった粋人の末裔なら、持論や議席やカネやプライドのために大義(皇室存続)を放棄しながら保守を名乗るという己の所業を恥じるべきです。    

文責:京都のS

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